2012年インド旅行記(12) 火葬場へ訪れた。

色々な想いが入り混じりながらガートを歩きます。時期は乾季なので水面はだいぶ下がっており川底になる土の部分まで水が引いていました。ガートか眺めていると遠い記憶の中と変わらず存在している建物もあり、感傷に浸ってしまいます。この街はこの15年間に様々な影響を僕に与えてくれた起点の町でもあります。自分の人生に分岐点があったとするなら、確実にこの場所でその分岐点で行く道の選択をしたのだと思います。それは具体的に何かを決定したとかだけでなく、ここにきてここで感じて、ここで触れ合ったもの全てを含めて、分岐点での選択に繋がっているのだと思います。

宿は色々と考えたのですが、思い入れのあるビシュヌゲストハウスに泊まることにしました。ビシュヌはガート沿いにある宿とそのすぐ後ろに2号棟を立てていたようで、部屋も値段の割にきれいであった2号棟の方に泊まることにしました。このテラスで20歳の僕は色々な事を語っていたのを思い出しました。
バラナシの見どころはこのガートです。大小数えると100を超えるらしいが、どこからどこまでが何ガートか?というのはあまり意味をなさないし、何ガートに行った。というのも意味をなさない。ガートとは沐浴場である。ヒンドゥー教徒の人が聖なる河であるガンジス川で身を清めるための場所である。ところが来る者拒まず何でもアリ的な宗教であるヒンドゥー教だからこそ聖地が聖地らしくなく、洗濯したり、体を洗ったり、生活排水が流れ込み、その中で水泳をしていて、牛などの動物の死体が流れているなど多様な光景が繰り広げられている。つまりはここに来たってこと、ここに居るってことに意味があるのだと思う。
バラナシ来ると必ず聞かれるのが『火葬場は見たか?』であり、マニカルニカー(「宝石の耳飾り」の意)・ガートがそれである。死生観の違いなど宗教、思想の違いがはっきりと出る場所である。文化の違いを感じるって事は好奇心がそそられるのであるが、『死者を送り出す儀式』ってのを軽く扱ってはいけないとも思う。だから15年前も遠くから眺めるだけであった。
今回は焼かれる場所の近かくまで行ったが、そこから先へは体が拒絶して進むことができない。気にしない人は火葬しているその瞬間を5m位の距離まで近づいてみることが出来る。すぐ脇まで歩いて行けるのであり、見世物って言うと変だが、見ることが出来るようになっているのだ。
通り道として見ることなく見て行こうと意を決して近づいてみたが、30mより近づくと強い不快感と吐き気まで始末である。僕の中で神聖視する儀式ってのがあり、ある意味では不可侵的であったのだ。例えば『出産』なんてその典型例である。どんなに勧められようと絶対に立ち会わなかった。
『死者を送り出す儀式』に対して体が拒絶するとは思ってもみなかった。でも、これが僕という存在なのである。改めて自分の宗教観を確認することが出来た。
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